One for all, or all for one

昔、大学生協が「一人は万人のため、万人は一人のため」という標語をかかげていました。最近ではラグビーでこの言葉が知られるようになったようです。

 

『All for oneの和訳「みんなは一人のため」は間違いで「一つの目的のため」』という解釈もあるそうです。ただ、この解釈の理由は、池井戸さんの小説「ノーサイド・ゲーム」で言及されていたからというだけです。

 

本当はどうなのか気になるところですが、もともと誰が言い出したのでしょうか。

 

どうも古代ゲルマン民族にあった言葉のようですが、その出典にはあたれませんでした。

 

書かれたものとしてはシェークスピアが1953年に書いた「ルークリースの凌辱」が初めてのようです。村里好俊さんの訳では、

 

人々の目的は、老い衰えていく人生を

名誉と富と安逸とで育むことのみ。

この目的には、相矛盾する激しい争いが潜んでいて、

すべてのために一を、一のためにすべてを、我々は賭けるのだ。

残忍な激戦の最中には、名誉のために命を賭ける。

富のために名誉を賭けるが、しばしば、その富には

すべての死という犠牲が払われる、すべてもろともに消えるのだ。

 

とされていて、私には十分読解できません。

 

とにかく、シェークスピアのおかげでこの言葉が広まり、1618年からの30年戦争でプロテスタントが団結のために用いたようです。

 

また、デュマの三銃士にも登場して、さらに広く知られるようになりました。

Un pour tous, tous pour un

三銃士 1894年版の挿画 Wikipedia

フランスの新聞トリビューンに載った記事(2020年3月30日)では、「一人はみんなのため、みんなは一人のため」の意味を強調しています。

「One for all:誰もが他の人を助けることを約束し、誰もが他の人のために、一部の人のためだけでなく、すべての人のために責任を負う。それは、どんな状況でも原則として落ち度のない個人の責任であり、他者に対して、また一部の構成要素だけでなく全体の集合体に対して責任を負うことです。

All for one: 集団は全員を助けることを約束し、グループはメンバー一人一人に責任を持つ。それは、例外なくすべての人に対する集合的な責任です。ここでの責任は、自分自身やプロジェクト、財に対するものではなく、人々に対するものであり、それゆえに連帯なのです。」