久しぶりにミャンマーのニュースが報じられていた。2018年の写真。この人はどうしてるだろうか。
Drogger RWS.DCというGPS受信機を買った。日本のGPS衛星みちびきのLD6信号を受信して高精度の位置補正が可能だという。スマホの多くはみちびきのLC1/A信号を受信している。RWS.DCとiphone 12と登山で使っているエプソンのGPSウォッチMX-500を街の中を歩いて比較してみた。
1枚目の図は赤線がRWS.DCで青線がiphone。iphoneは道から外れることもあるが、かなり正確。2枚目の図は青線がiphoneで、赤の破線がGPSウォッチで、iphoneの方が正確だ。iphoneはモバイル電波によって補正しているのかもしれないので、モバイルをoffにしたのが3枚目。iphoneの精度が落ちた。
私が好きなフランスの詩人はアラゴンとエリュアールだ。
アラゴンの「ストらスブール大学の歌」の一節は日本でよく引用される。
「教えるとは希望を語ること。 学ぶとは誠実を胸に刻むこと」(大島博光訳)
ストラスブールはフランスだが、かつては神聖ローマ帝国に属し、フランス領となってからもドイツの国境近くにあり、独仏間で領有権が争われてきた。1919年にフランス領となるが、1940年にナチスによって侵略された。1943年11月、ナチスによってストラスブール大学の教授や学生が殺され、数百人が逮捕された。それに対する怒りを込めてアラゴンがつづった詩だ。
「学問とは永い永い忍耐
だが今 なぜすべてのものが黙っているのか
ナチどもははいりこんできて 殺している
暴力だけがやつらのただ一つの特性だ
殺すことだけがやつらのただ一つの学問だ」
学問が実を結ぶには永い忍耐が必要なのだが、政権や経済界は短期で経済に結び付く技術だけを求める。肉体を殺しはしないが、学問の自由を殺している。
そんなストラスブールを見たくて、ドイツを旅行したついでに訪れた。写真は詩の中に出てくるカテドラル。
「40 歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」とリンカーンが言ったそうだ。半分は正しくて、半分は間違っている。私は自分の顔にあまり意識をしたことはないが、鏡や写真で見ると貧相だと感じるものの、どうでも良いと思ってしまう。
私の知人の女性は眼瞼下垂もあって随分気にしている。出会った男性から、『汚い顔』だという顔をされると悩んでいた。
学生時代に読んだ本で人に見られるより人を見ることの方が大事だと書いてあったのを記憶している。人をさげすんで見ていることは絶対にしないでおこう。