なぜ、クロアチアにでかけたか。

毎年、妻と海外旅行先を相談する。とりあえず、まだ行っていない国から選ぶ。私はアイスランドを提案したが、妻は乗り気でない。街がなさそうと感じたのかもしれない。

妻がクロアチアに行った友人から、きれいなところだったと聞いたというのが妻の理由。そういえば、昔クロアチア地方の人と文通していたな、と私が思い出す。どうまわるか予定をたてる最中に、クロアチアの北西にあるスロベニアの首都リュブリャーナからクロアチアの首都ザグレブまでバスで2~3時間だと知り、スロベニアも目的地に含めた。後で書くが、ボスニア・ヘルツェゴビナにもでかけた。

 

スロベニアクロアチアってどこにあるんだ。ロシアの近くかなと思っていたら、オーストリアの南。スロベニアはイタリア、オーストリアハンガリークロアチアと接している。

ユーゴスラビアの国々

この両国に限らず、ヨーロッパの歴史は複雑で、なぜ隣の国とは異なる国として存在しているのかわからないことが多い。(と思うのは私だけか?)

 

私の頭の中ではユーゴスラビアという国名が長く存在した。チトー大統領が独自の社会主義政策をとり、社会主義を掲げながら、ワルシャワ条約機構に属していなかった。ユーゴスラビアは、オーストリアハンガリーなどの大国から独立を守るために、1929年にセルビアクロアチアスロベニアが連合してユーゴスラビア王国を建国したことに始まる。ナチスの占領下でクロアチアは独立国となるが、1945年にチトーの率いるパルチザンによって、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が建国された。

 

1980年のチトーの死や1989年のベルリンの壁崩壊を経て1991年にクロアチアスロベニアが独立を宣言した。それに対してユーゴスラビアセルビア)は派兵して独立を阻止しようとした。スロベニアでの紛争は10日間で解決し、スロベニアは独立するが、クロアチアボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争は1995年まで続いた。現地で案内してくれたガイドさんたちは、スロベニアでもクロアチアでも、最初に国の歴史の説明をしてくれたが、チトーについては共通して偉大な政治家だったと評価していた。

 

ユーゴスラビアは、6つの国、マケドニア(現在は北マケドニア)、セルビアボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアスロベニアモンテネグロからなる連邦であった。共通するのはスラヴ系民族だという点だが、原語や宗教は複雑である。

 

北マケドニアマケドニア人が多数派だがアルバニア人も多い。マケドニア人はキリル文字を用いるマケドニア語を話し、正教徒である一方、アルバニア人アルバニア語を話し、イスラム教徒である。セルビアセルビア人が多数でセルビア語を話し、キリル文字ラテン文字両方が用いられる。正教徒である。モンテネグロモンテネグロ人が45%、セルビア人が29%などで、モンテネグロ語はセルビア語の方言であり、宗教は74%が正教徒、18%がイスラム教徒である。

 

スロベニアクロアチアはそれぞれスロベニア人とクロアチア人が多数を占め、スロベニア語とクロアチア語を話す。確かに別の言語で単語や文法が異なるが、どちらもラテン文字を使い、共通する単語もある。宗教はローマ・カトリックが多数を占める。スロベニアは四国とほぼ同じ面積で人口は210万人しかない。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナは複雑な国だ。ボシュニャク人(48%)、セルビア人(37%)、クロアチア人(14%)からなり、それぞれイスラム教、カトリック、セリビア正教を信じる。各民族から1名ずつ代表者を出して、大統領評議会による集団指導体制がとられる。さらに国の中に二つの国、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国が存在する。公用語ボスニア語、クロアチア語セルビア語なので、ラテン文字キリル文字両方の表示を目にする。紛争が長引き、現在も経済状態が良くないようで、1989年に450万人だった人口が2021年には327万人まで減少した。