私の履歴書

 小学校低学年まで滋賀県彦根市で育ちました。家の近くに用水路やクヌギ,コナラの林が残っていて,虫捕りをして遊びました。小学校3年生くらいのときに水田に工場ができて,その照明にタガメがたくさん集まってきたのを覚えています。しかし,自然の美しさ,楽しさを知ったのは,もう少し後で,小学6年から中学2年まで過ごした北海道富良野市での生活でした。北の国からプリンスホテルもできるずっと前で,地味な田舎町でしたが,美しい景観,きらきら光る雪の結晶,シマリス空知川の湿地に急降下するオオジシギ,街灯に集まるおびただしい数の蛾,エゾサンショウウオ。でもなぜかこのころは自然そのものよりも,今で言うバイオテクノロジー的な分野にすすみたいと思っていました。大学では遺伝学をやるつもりでしたが,当時の昆虫学研究室におられた上田恵介氏(立教大学名誉教授、日本野鳥の会会長)や城田安幸氏(弘前大学名誉教授)といった人たちに惹かれて昆虫学研究室にすすみました。大阪自然館k表保全協会の副会長をされていた佐藤先生は植物生態学の講義をされていて,学生に人気がありました。造園学の高橋先生から伺ったお話では,生態学の常勤講師をおけという学生自治会の要望で大阪市大から引き抜いてこられたそうです。同級生と生態学の自主ゼミをつくって,佐藤先生に指導をお願いしたこともあります。残念ながら,私の所属は高橋,佐藤両先生とは異なるコースでした。

 自然保護活動は,大学院時代に自然保護協会自然観察指導員となって,京都連絡会の設立に参加したのが最初です。このころは研究フィールドも鞍馬にあって,里山に入り浸っていました。木の幹に触れていると,気持ちが通じ合うような錯覚にとらわれたものです。

 大学院を修了後,大阪市立環境科学研究所へ就職しました。ここではいろいろな研究テーマに携わりましたが,大阪市内の公園にもっと多くの鳥や昆虫を生息させるための研究や,市民の皆さんと市内の自然を調べる「みどりと生き物マップ」づくりの仕事,小学校にビオトープをつくるための調査や環境教育などに取り組みました。「マップ」づくりでは,大阪自然環境保全協会のメンバーや自然史博物館友の会の皆さんのお世話になりました。

 

 大学では,生態系のことを考えた緑地作りと管理について教えていました。研究分野は景観生態学保全生物学で,カスミサンショウウオ(当時、現在はヤマトサンショウウオ)をご存知でしょうか。頭からしっぽの先まで12,3cmほどの小さなサンショウウオですが,丘陵地に住んでいるために都市開発によって次々と生息場所を奪われ,大阪府では絶滅が心配されています。大阪府堺市では,鉢ヶ峰の自然を守る会の皆さんと一緒に保護池をつくってモニタリングしていましたが,集団が孤立することによって遺伝的に問題が生じる可能性もあるため,DNAを調べる方法を開発していました。また,生息場所の配置や生息環境を変化させたときに絶滅する危険性がどう変わるかをコンピューターシミュレーションしました。こうした方法は,カスミサンショウウオだけでなく,いろいろな生物に適用可能なので,他の両生類やカヤネズミなどの小動物についてモデルをつくり,それを統合して,地域の生物多様性の保護計画に役立てる方法へと発展させました。

 中央アジアにあるアラル海は灌漑のために川の水をとられて,干上がりつつあります。その影響を受けているのは人間だけでなく,多くの生物がアラル海から絶滅しました。ペリカンもそのひとつです。ペリカンは大量の魚を食べるため,湿地生態系の頂点のひとつして重要です。アラル海の自然を一部回復して,ペリカンが再び住める環境をつくるためにペリカンの生態調査をおこなっています。アラル海はもとは68,000平方キロ(北海道よりやや小さい)もあって広いので,リモートセンシングといって,人工衛星で撮影した画像から植生や水辺の環境を推定しています。また,ペリカンに発信機をつけて,人工衛星によって電波を受信してペリカンを追跡することを始めました。この冬のデータでは,カザフスタンで繁殖したハイイロペリカントルクメニスタンアフガニスタンの国境近くの湖で越冬しているということがわかりました。

 もうひとつとりかかったのは,アフリカ南部にあるナミビアで農業(放牧)と野生生物をどう共存させるかということです。この地域では,昔は,狩猟採取民族や遊牧民族が自然を大きく変えることなく生活していましたが,ヨーロッパ人が侵入して,牧場経営を始めたために,先住民たちも定着地で放牧や耕作をせざるを得なくなりました。さらに,野生動物が自由に行き来すると病気を伝染させたり,家畜を襲ったりするため,千数百キロにもおよぶ長いフェンスを設置しました。それでもゾウやライオンがフェンスを越えて出没して問題になっています。また,チーターはもともと全土に分布していたため,個体数が激減したとはいえ,どこにでも出没します。ナミビア大学農学部では,統合環境学科を新設して,森林再生や放牧地の植生管理,野生動物管理を統合的にあつかう人材育成を目指しており,そのお手伝いをしていました。