昆虫に感情はあるか

感情Emotionは「動物が危害/罰を回避し、貴重な資源/報酬を求める能力を与える基本的なメカニズムから進化した可能性が高いプロセス」だとされる(Paul et al. 2005)。感情は人間だけに備わった主観的な能力だと考える人もいるが、そうとは言い切れない。たとえば恐怖は主観的な恐怖感だけでなく、心拍数の増加、手のひらの汗、しかめっ面、逃避行動の増加などを伴う。このような生理的行動的な反応は広く動物で見られる。

 

人間は概して、自分がどのように感じているかを口頭で報告することができ、これは現在の主観的な感情状態の標準的な指標として一般に受け入れられている。 しかし、動物はこの情報を提供できない。 実際、人間以外の動物が実際に何かを感じているかどうかは定かではない。動物の感情状態を確実かつ正確に測定するための最良の客観的方法は、脳内で進行しているプロセスを直接観察することである。PET および fMRI スキャンが人だけでなく霊長類でも用いられている。

 

感情の有無を評価する

感情の評価は3つのレベルで行うことが提案されている(Paul et al. 2015)。感覚運動sensorimotor(刺激に対する自動的な反応)、図式schematic (以前に遭遇した刺激に対する学習反応の自動トリガー)、および概念conceptual (意識的に処理された反応)。

 

第1の評価方法の例は突然の刺激に対する驚き、警戒の反応である。そうしたネガティブな感情状態にある動物はそうでない場合と比べて、「仕事」の生産性が低下するという仮説が提案されている。

 

第2の評価方法に関して、動物の記憶の情緒的調節に関する研究が多数存在する。ストレス ホルモンであるカテコールアミン (アドレナリンなど) やグルココルチコイド (コルチゾールなど) を学習すべき出来事の前後に投与すると、その出来事の記憶が強化される。動物をポジティブな出来事とネガティブな出来事にさらし、後に同じ刺激を与える。再暴露時にネガティブ状態の動物は、ニュートラル状態の動物よりもネガティブな出来事に関する情報を取り出したかのような行動をとりやすく、ポジティブな感情状態の動物はポジティブな出来事を思い出したかのような行動をとる可能性が高いと予想される。

 

第3の評価は複雑である。人間では、否定的な感情を報告する人々は、あいまいな(通常は言語的)刺激または予想される出来事について否定的な判断を下すことが多いのに対し、幸せな人々は反対のバイアスを示す。同じように感情状態を経験している動物は、あいまいな情報を悪い出来事の到来を予測するものとして解釈する可能性が高いというものだ。

 

動物の感情に関する研究の大部分は、哺乳類を対象としてほぼ独占的に否定的な感情に焦点を当てている。しかし、無脊椎動物が感情の基本的な表現を持つ可能性があるという考えが受け入れられつつある。感情が進化によって形成された適応的意義があると仮定すると、無脊椎動物が喜びのようなポジティブな感情も持つことも予想できる。

 

マルハナバチによる実験

Solviら(2016)はマルハナバチドーパミン依存的にポジティブな感情様状態を示すことを実証した。実験容器にいくつかの筒を取り付け、青色のカードをつけた筒には砂糖水(スクロース)を入れ、緑色のカードの筒には水を入れて、マルハナバチに学習させ、筒に入るまでの時間を計測した。次に曖昧な情報に対するハチの判断を調べるために、青と緑の中間色(青に近い色からみどりに近い色まで3種類)のカードをつけた筒を置いた。半分のハチには実験室の入り口で砂糖水を与え、残り半分の個体には与えなかった。するとテスト前に砂糖水を与えられた個体はそうでない個体よりも短時間で筒に入った。

 

テスト前の報酬によって感情がポジティブになったのではなく、その後の報酬の期待によって餌探索行動が活発になったのかもしれない。そこで、ふたつ目の実験では、ハチ (n = 24) は青いカードの下で報酬を見つけるように訓練され、続いて 2 つの中間色ではない黄色2色でテストされた。その結果、採餌までの待ち時間 (F) と選択肢の数 (G) は、テスト前に砂糖水を与えたかどうかによる差はなかった。これは、テスト前の報酬がその後の報酬への期待値の増加を引き起こさないことを示す。

 

事前の砂糖水の吸汁によって、ハチが活動で気になった可能性もある。確かにハチの胸郭温度は有意に上昇したが、飛行速度には差は認められなかった。

 

予期しない報酬が後の嫌悪刺激に対するハチの反応を変えるかどうかをテストした。筒で砂糖水を採餌するよう訓練した後で、半分のハチにはテスト前に砂糖水を与え、残りには与えなかった。次に実験容器に入る前の通路で疑似捕食者による攻撃をシミュレートした後に餌容器のある実験室に入れた。すると、砂糖水を与えたハチは採餌を再開するまでの時間が短かった。

 

哺乳類の神経における報酬物質は、ドーパミンやノルエピネフリンなどカテコールアミンである。マルハナバチでも同様な経路が存在するか確かめられた。オクトパミン拮抗薬、ドーパミン拮抗薬、セロトニン拮抗薬を投与して、疑似捕食者による攻撃を受けた後、テスト前の砂糖水摂取による行動変化への影響をテストした。すると、ドーパミン拮抗薬を投与した個体はテスト前に砂糖水を与えても採餌に戻るまでの時間が短縮されなかった。

 

マルハナバチが少量の事前に得た砂糖水に反応して示す行動は、哺乳類で一般的に見られる内的感情状態と意思決定の相互作用の基準、すなわち、曖昧な刺激に対する正の判断バイアス、負の刺激に対する反応の減衰に合致している。そして、無脊椎動物が感情を定義する基準に適合する状態を持っているという考えを支持する。

 

Paul, E. S., Harding, E. J., & Mendl, M. (2005). Measuring emotional processes in animals: the utility of a cognitive approach. Neuroscience & Biobehavioral Reviews29(3), 469-491.

 

Solvi, C., Baciadonna, L., & Chittka, L. (2016). Unexpected rewards induce dopamine-dependent positive emotion–like state changes in bumblebees. Science353(6307), 1529-1531.